2025年11月8日(土) に松明堂音楽ホールにてギターリサイタルを行います。
今回はスペインの地名または地方名に関するタイトルの曲を取り上げます。
普段ですと曲目の時代背景や作曲者の解説をするのですが、
今回は曲解説の代わりに街の解説をしますので、その街から連想される曲のイメージを感じていただきたいと思います。
このスペイン一周の旅はバレンシアに始まり、反時計回りにスペインをぐるりと一周して再びバレンシアに辿り着きます。
スペインの歴史
イベリア半島は紀元前3世紀からローマ帝国に支配され、「ヒスパニア」と呼ばれる。
(スペイン語でスペインを意味するエスパーニャの語源)
宗教はキリスト教、言語は俗ラテン語(のちに俗ラテン語から派生するスペイン語へ)。
中世はイスラム教勢力であるウマイヤ朝に征服され、イスラム教の建築やアラビア語がもたらされる。
8世紀からキリスト教王国による国土回復運動「レコンキスタ」が始まる。
700年以上をかけ1492年、ついにグラナダのイスラム教勢力のナスル朝が陥落。
この時の舞台があの有名なアルハンブラ宮殿。
その後、大航海時代に入り中南米とフィヒリピンを植民地にし、太陽の沈まぬ国と称されるほど栄華を極めるが、
産業革命を経たイギリスやナポレオンの台頭によりスペインは徐々に衰退していく。
1930年代のスペイン内戦後、フランコの独裁により1975年までカタルーニャとバスクの文化は抑圧されることに。
現在スペインは「国家」でありながら、強い自治を持つ“州”の集合体。
征服や支配がたびたび変わるスペインの歴史を紐解いていくと、その理由を垣間見ることができる。
また「ピレネーを超えるとそこはアフリカだった」という言葉は、ヨーロッパの中でも多様な文化を取り入れ
作り出された異国情緒あふれるスペインを端的に表す言葉ともいえるだろう。
バレンシア舞曲 (V. アセンシオ) バレンシア組曲(V. アセンシオ)
バレンシアはスペイン東部の地中海に面するスペイン第3の都市。バレンシア州の州都。
地中海性気候で、一年を通じて温暖。冬も比較的過ごしやすく、夏は乾燥して暑い。一年のうち300日以上晴れると言われる。
観光名所はラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(世界遺産に登録された中世の絹取引所)や3月に行われる火祭り。
パエリアの発祥地であり、肉や海鮮の食材に恵まれている。
また、恵まれた日照時間と土壌によって育まれるバレンシアオレンジは世界的にも有名。
バレンシアの踊り、ホタ・バレンシアーナは3拍子の踊りである。
アセンシオの曲には3拍子系のリズムやカスタネットを彷彿とされる細かいリズムがよく使われ、
生まれ育ったバレンシアのリズムを取り入れていることが伺える。
カタルーニャ奇想曲(I. アルベニス)
カタルーニャはスペイン北東部の自治州で、州都は バルセロナ。
独自の言語(カタルーニャ語)と文化を持っていて、スペインの中でも強いアイデンティティを誇る。
経済的にも発展し、工業・観光・港湾などの中心地。
州都バルセロナで有名なものといえばアントニ・ガウディの建築群だろう。
サグラダ・ファミリア教会をはじめ、カサ・ミラ、サン・パウ病院など、町の中に現れる独特の芸術建築が目を引く。
フェニキア人、ローマ帝国、イスラム文化、フランス、スペインの文化を受け継ぎながら、歴史の荒波の中で幾度も弾圧を受ける。
その弾圧を跳ね返してきた反骨精神がつなぐカタルーニャはとても魅力的で、現在も観光客を惹きつける。
マジョルカ(I. アルベニス)
スペイン本土から東に位置するマジョルカ島は、「地中海の宝石」とも言われるバレアレス諸島最大の島。
美しいビーチ、石造りの村、豊かな歴史、そして世界中からの観光客でにぎわう魅力あふれる場所。
州都パルマ・デ・マヨルカへは、バルセロナから飛行機で1時間。フェリーで7時間ほど。
他にも自然豊かなメノルカ島、パリピの聖地イビサ島、海が美しいフォルメンテーラ島なども近い。
観光はターコイズブルーの海、白砂のビーチ、断崖絶壁の入り江が美しい。
主なアクティビティはダイビング・セーリング・シュノーケル。
ワインの名産地でもある。
バスクの歌(A. J. マンホン)
バスクはスペイン北部とフランス南西部にまたがる地域。
スペイン側ではバスク自治州とナバラ州が主なバスク文化圏。
世界のどの言語とも系統が不明と言われる独自の言語バスク語を持ち、ピレネー山脈と大西洋に挟まれた場所。
19世紀に鉄鉱石を活かした重工業が発展。スペイン有数の工業地帯になり、経済的に恵まれた地域の一つである。
スペイン内戦後のフランコ独裁下で自治権とバスク語が弾圧。その中で武装独立組織 ETA(バスク祖国と自由)が活動していた。
サン・セバスチャンは美食の街として知られ、タパス、ピンチョスといったスペインのバル文化を体現している。
ピカソの「ゲルニカ」はバスクの街の名前であり、スペイン内戦時の悲惨な情景を描いたもの。
バスクはその独自の文化を守り続け、スペインの中でも異色の存在と言えるだろう。
アストゥリアス(I. アルベニス)
アストゥリアス州はスペインの北西部に位置し、8世紀にレコンキスタを始めた場所としても知られる。州都はオビエド。
オビエドの大聖堂を観光した後に、カフェテリアのきれいなおねーさんに1ユーロちょろまかされそうになったことをたまに思い出す。
いわゆるスペインらしい南部アンダルシア地方とは違い、スペイン北部はグリーンスペインと呼ばれるほど緑あふれる地域。
大西洋から吹き付ける風がカンタブリア山脈にぶつかり雨を降らせる。反対にスペイン中央部には乾いた風が吹くことになる。
アストゥリアスの地名がついているが、この曲は元々は「スペインの歌」の前奏曲として作られたが、アルベニスの没後にスペイン組曲の第五番として宛てられた。いかにも南部のアンダルシアらしい曲調に対して北部の地名が宛てられたためにミスマッチが起こっている。
マドリッド 〜3つの都市のプレリュード第三楽章〜(A. G. アブリル)
スペインの首都イベリア半島のほぼ中央に位置し、政治・経済・交通の中心。
歴史都市というより近代的な首都の雰囲気が強い。
郊外を抜けると古都トレド、協奏曲で有名なアランフェス宮殿などがある。
スペイン内戦では共和国政府の拠点となり、激しい戦場に。
フランコ独裁後も首都として成長し、近代都市化が進み政治・経済・金融・文化の中心地。
欧州有数の大都市圏で、観光や芸術でも重要な役割を持つ。
夜はあまり外出をお勧めしないが、夜の街としても有名らしい。
カディス(I. アルベニス)
紀元前1100年頃、フェニキア人によってガディルという名で建てられた港町で、ローマ帝国時代にカディスとなり交通の要衝となり発展。
大西洋側に突き出た半島の小さな街で、夕陽が美しいことで知られる。
金色に輝く砂浜ラ・カレタ海岸や海を一望できるカディス大聖堂、トルティリータ・デ・カマロネスという小エビの煎餅のような食べ物が有名。フェリーでジブラルタル海峡をわたり、アフリカ大陸のモロッコへ行くこともできる。
セビージャ(I. アルベニス)
セビージャはスペイン南部 アンダルシア州の州都で、グアダルキビル川沿いに位置する歴史都市。
フラメンコや闘牛、イスラムとキリスト教の融合した建築(ムデハル様式)で知られる。
8世紀から500年ほどイスラム勢力の影響を大きく受け、セビージャの大聖堂はゴシック建築でありながら鐘楼はイスラムの尖塔がそのまま使われている。他にもアルカサル宮殿はムデハル様式である。
他にもセマナ・サンタ(聖週間)やフェリア(春祭り)の国内有数の行事があり、「カルメン」と「セビリアの理髪師」の舞台にもなった国際的に有名な都市である。
グラナダ(I. アルベニス)
グラナダはスペイン南部アンダルシア州にある都市。
シエラ・ネバダ山脈のふもとに位置し、アルハンブラ宮殿で世界的に有名。
「イスラム文化最後の都」として、スペイン史の象徴的な舞台である。
13世紀、イベリア半島のレコンキスタが進む中で、グラナダは「ナスル朝グラナダ王国」として成立し、
この王国は約250年間、イベリア半島最後のイスラム国家として繁栄する。
その間、アルハンブラ宮殿やヘネラリフェ庭園など、イスラム芸術の傑作が築かれる。
1492年、カトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)がグラナダを陥落させ、スペインが統一。
同年はコロンブスが新大陸に出発した年でもあり、スペイン史の転換点ともいえる。
グラナダのバルは飲み物を頼むと無料でタパス料理が付いてくるので酒好きにはたまらない街でもある。
スペインの街解説は以上となります。
曲を聞く前に目を通してイメージを膨らませていただければ嬉しく思います。